そこに"意図"はあるか
成長のためにはある程度の負荷は必要です。
負荷への対抗によって新しい力を手にします。
だからといって、集中を欠いた状態で無理やりダラダラ何かを続けたとしても、それは成長に繋がらない時間になるでしょう。
自分に負荷をかける、または負荷がかかる時、思考停止でただやり過ごすのではエネルギーが漏れるだけです。
重要なのは、負荷に対して集中して向き合っている状態を作ることです。
何らかのストレスに意図的に対処する過程で、新たな技能を身につけ、人は成長します。
重要なのは"意図的である"ということです。
ただ闇雲に頑張ればいいという根性論では、まず脳が変わってくれない。
だから日常もさほど変わらないし、人生の大きな流れを動かすこともできないでしょう。
別に何か目指すべきビジョンがなくても、目の前にある負荷に集中し、その時間を充実させるための意図さえ持てれば、なんらかの学びを得られる感覚と、それに伴う日常の変化が起こってくれるはずなのです。
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