論理は後付け

「論理っていうのは、

馬鹿にものを説明するためだけの

ものなんだよ!」


って言ってた人がいて、


強烈過ぎるなと思ったんですが、

一理あるとも思いました。



結局ロジックっていうのは、


一番頑丈で、

これだけは千切れない

っていう鎖みたいなもんです。


人間なら、誰が見ても、

それは正しい

と思えるものです。


論理でちゃんと繋げれば、

ほとんどの人間が理解しやすい

形になるっていうだけの話です。




以前にも書きましたが、


数学者の思考パターンって

意外にも論理の積み上げではない

そうです。



まずは直観的にこれで良さそう、

って思って、


それが本当に正しいかを、

一個ずつ論理的に確認していく

という考え方をするそうです。



そういう意味では、

論理がすごく重要なのは

間違いないです。


プリミティブなものであり、

まず間違いなく崩れません。



厳密に何かを考える上で

必ず必要なものです。



しかしながら、

何かを考える上での

とっかかりにはなり得ないと

思います。



お笑い芸人が論理的に

面白いことを言っている

わけではないのと近くて、



結局、閃きが先にあり、

それを後で論理で説明する

っていう流れになります。



お笑いの世界でも、

色んな理論があって、


こういう場合はこうした方が

面白い、

みたいな定石はあるわけです。



でもこれは、

最初に誰かが閃いて

言ったことに対して、


ロジックを後付して、

再現性のある状態に

近づけたものに

過ぎません。



そして実際は、

その理屈どおりに

笑いを取ろうとしても

かなり難しいわけです。



その理由は、

論理で説明し切れない

細かいディティールが

いっぱいあるからです。



閃きっていうのはかなり

情報量が多いので、


論理みたいな

「頑丈だけどシンプル」

なもので、

すべてを表現することは

できないのです。



例えばですけど、

モールス信号を使って

「トントンツー」

みたいなやりとりで


自然言語で話す内容を

完全に伝え合うことは

原理的には可能です。



でもそんなことしたら

途方もない時間がかかって

文字通り「話にならんよね」


って話です。



感覚を言葉に落とすことが

できないっていうのと同じです。


感覚を100%正確に相手に伝えるなら、

感覚のまま相手にぶち込むしかないですが、

それは今のところできません。




で、結局大事なのは


・閃きとか感性みたいなもの

・論理


っていうものの、

性質を理解して、

正しく使うことなんですよね。



論理全否定!!


みたいな人もたまにいますが、

やっぱりそれも片手落ちです。



まあ、どっちかというと

今の世の中は、


感性全否定!!


派が多いので、

そうじゃねーだろと


日々思ってるわけですが。



では、今日はこのへんで。














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